データ社会に生きる

 

 

お久しぶりです。

色々あって今週は自宅にいることになったので、できるだけ書き進めていきたいと思っています。

 

今日はデータ社会で生きることについてです。一個人として、データを企業に提供していくべきかどうかという観点で書こうと思っています。

 

きっかけは今流行してるスナップチャットのフィルターです。ざっくり言うと、このフィルターを使えば、自分の顔を異性の顔や子供の顔にして撮影できます。

 

これをやってまず感じたのは、このデータを取れば、いくらでもビジネスができるな、ということです。

例えば、顔の輪郭のデータを取ることで、マスク業界や化粧品業界に売る。自分の理想の顔のフィルターを作ることができれば、整形やスキンケアの広告や商品企画に活かせる。

 

本当に多様な使い方ができるなあと思いました。

 

現代社会においてデータの重要性は嫌という程言われています。たしかにさっきの例を見る限り、実際の消費者データが取れれば、様々なビジネスに活用できますし、消費者側もよりよいサービスを手にすることができますよね。

 

ならば私たち一個人は、企業にデータを提供していくべきなのでしょうか?

 

データの提供には、リスクも存在します。

 

データの流出と、それに伴う悪用です。Facebook個人情報流出のニュースが記憶に新しいかと思います。取得したデータが他人に渡ってしまう危険性がある。

 

そしてそれを悪用されてしまう可能性があります。スノーデンというドキュメンタリー映画で、米国政府が米国内の全てのデバイスにアクセスし、カメラの起動や情報の閲覧ができるなんて話もありました。

データの提供にはこういったリスクがあります。

 

ではこれを踏まえて、私達はデータを企業に提供していくべきなのでしょうか?

 

 

私個人としては、データの提供を積極的に行っていくべきだと思っています。

 

理由としては、よりよいサービスを受けられるというメリットが大きいからです。

アマゾンを例に挙げると、自分の買ったもののデータを分析して、自分が欲しそうなものを提示してくれるサービスがありますよね。

このようにデータを提供することで、企業全体のサービスの向上だけでなく、一個人としてもよりよいサービスを受けることができます。

 

なので僕は、データをどんどん提供することで企業と自分が互いに得をする関係を作り出していきたいと思っています。

 

もちろんデータの提供先はしっかり選ぶべきだと思いますけどね。スノーデンのように、データを提供した結果自分たちの首を絞めることはしくないですし。

 

まあ総括すると、データは大事なので、自分の使用するサービスにデータを提供することでどんなメリットがあるか、どんなリスクがあるかをしっかり考えた方がいいなあ、という気づきでした。

 

ちょっと書きすぎましたかね。まあ明日も休みみたいなものなのでいっか。

 

おやすみなさい。